CHANEL元取締役 中川 保孝氏が語る、挑戦と共創の軌跡。vol.2

CHANEL元取締役 中川 保孝氏が語る、挑戦と共創の軌跡。vol.2

常識に囚われず、革新を起こし続けてきた一流たちのスピリットに触れるTAKANOME MAGAZINE。

今回話を聞いたのは、名だたるラグジュアリーブランドのマネージャーを経て、Mont Blanc社長、CHANEL元取締役を歴任された中川 保孝(なかがわ やすたか)氏。引退後の現在でも「ヒエラルキーのない組織」というユニークな視点を持ち、若手経営者を支援する取り組みを精力的に行うなど挑戦し続けている。組織のトップとしての信念、そして多くのラグジュアリーブランドを経験する中で培われた、文化への想いについて鷹ノ目創業者である平野が伺った。

※前編はこちら

時にブランドには、強い意志も必要

中川氏:出身地である関西のしがらみから抜け出したかったのもあり、帰国後、29歳の時に東京に出てきて、クリスチャンディオールのDuty Freeのマネージャーになりました。

それまではエンジニアの仕事をしていたので、全くのキャリアチェンジです。そしたら仕事がすごく楽しかったんです。91年にはカルティエに入り、時計部門のマネージャーになり、その後リテール部門のジェネラルマネージャーになりました。社命で異動になり、モンブランの社長を経験させていただき、その後シャネルに入りました。


平野:数多くのブランドを経験する中で壁も数多くあったと思うのですが、それにはどう立ち向かってきましたか?

中川氏:僕はたいていのことは大したことないと思っています。ただ一個だけ今でも思い出す仕事があります。

昔は、日本で海外のブランド物を買うと4割くらい高かったのですが、カルティエでは差が1.4倍あったのを約1.2倍に下げたんです。

そうすると時計屋さんの在庫の評価も一緒に下がってしまうから、お店の人に大反発を受けました。でも、嫌だったら返品して良いけれど、その代わりにもうお付き合いはしませ