軽々とあらゆる境界線を飛び越える。稀有の美術家・音楽家 / 立石従寛

軽々とあらゆる境界線を飛び越える。稀有の美術家・音楽家 / 立石従寛


仮想と現実、自然と人工など相反する概念の境界の融和をテーマに写真、音楽、人工知能、立体音響、身体表現など幅広い表現で人々を魅了する。

稀有のアーティスト・立石従寛氏。

彼の作品世界に一度触れてしまうと、カテゴライズしたり、線引きすること自体が無意味に思えてしまう。

雪が降り、真っ白な銀世界と化した美しい軽井沢。
立石氏の活動拠点である軽井沢の山の中で、立石氏に作品の生み出される背景を聞いた。


▲立石従寛(たていし・じゅかん)
1986年シカゴ生まれ。東京・ロンドン拠点の美術家、音楽家。仮想と現実、自然と人工、制作と運営など、相対する境界の合成をテーマに制作を行う他、アートスペース「The 5th Floor」や「TOH」の立ち上げ、暮らしの実験場「TŌGE」共同主宰、<木を食べる>フードプロダクトの開発など、無領域的に活動する。

 

 

主体と客体を反転させた“In(to)stallation"


雪木立の中に、白いオブジェが置かれている。
その中を雪も、風も、光さえも通り抜けていく。

ここは軽井沢の離れ山。
まるでメタバースのように雪の中に出現するオブジェは、立山従寛氏の習作「"A Study of In(to)stallation" イン(トゥー)スタレーション)」
インスタレーションとは、ある特定の場所にオブジェや装置を置き、空間自体を作品とする表現方法のことだ。

 

▲"A Study of In(to)stallation"、軽井沢離山の中にアルミ・樹脂パンチングボードで組まれたホワイトキューブ、2022~


石や木の枝をギャラリーにたくさん置いて、環境のことを考えようというアートがどんどん増えている。


日々ダイナミックに風景が変わっていくのに、一瞬を切り取って「これが自然です」というのも違うのではと語る。

主体と客体を反転させ、ギャラリーを森の中に持っていくという道もあるのではないか。

そのような背景から、"In(to)stallation" の構想は生まれた。

 

「最初は図面の書き方、構造の考え方、安全性についてを建築の専門家に聞いたり、協力してもらった。

自分に知識がなく専門家に任せてしまったら、自分が思い描いている作品から遠ざかってしまう。

実現性、リスク、安全性、そして自分理想と伝えたいメッセージのバランスを取らないと、インストラーに指示も出せないし、具体的な要件を伝えることもできない。

だから独学で施工についても学んだ。」

 

▲雪景色に佇む習作を撮影する立石氏。季節の移ろいごとに映る作品の変化を楽しむために、定期的に作品を写真に収めている。

 

理想とする世界観を生み出すために、できることは何でもやり遂げてしまう立石氏。

そんな立石氏はどのような環境で育ったのだろうか。 

 


アーティストとしての原点

立石氏とアートとの出会いは、幼少期に遡る。
1986年にシカゴで生まれる。父の転勤に伴い、シカゴ、トロント、東京、アムステルダムなどの都市を転々として暮らしていた。
北米時代、オランダ時代に、母親に連れて行かれた美術館で、主に近代美術、近代西洋画を多く見ていたのがアートに触れた原点。

「自分で創作を始めたのは、16、17歳の頃。音楽が始まりだった」

中学、高校の思春期を日本で過ごしていた。

 



今でこそ人より言葉にするのが得意かなと思えるけれど、以前は日本語も英語もうまく話せなかった。
色々な意味でコミュニケーションの取りづらさを感じていたそうだ。


自分の内側にあるものを出したい。

他に伝える方法がなかったから、アートにたどり着いた。
 
初めて創作したものは、失恋して書いた曲と、ニューヨークで、グラウンドゼロを見て書いた曲だったという。

高校時代に周りの人とうまくコミュニケーションを取れなかったが、アート活動で評価を得た瞬間、周りの人の反応が一変したという。


「それが面白い。いいとか悪いとかではなく、ユニークだなあ」と感じたという。自分のことであるのに、どこか他人事のようだ。
 
優しい語り口で言葉を紡ぐ。
そのふとした瞬間に、どこか自分を客観視する視座が感じられる。

その後、その後、慶應義塾大学の環境情報学の道へと進む。研究室も情報工学系だった。


本当は美大に行きたかった。色々なことがあって、一度はアートを諦め、事業を始め、ビジネスの世界へ。


それでも制作活動はやめられず、続けていた。


再びアートの道へ 

心がいつもアートにあったから

オフィスの無機質な環境
予定調和、同調圧力

均一化している、あるいは均一化しようとすることに強い抵抗があった。
いくら個性を大事にしているという企業でも、組織には変わらない。

 



「一度だけ、イギリスの美大を受けて、受かったらやらせてほしい」

30代になり、自分の人生をしっかりと歩みたいい。そう思ったとき、心はいつもアートにあった。


第一子がうまれる頃、仕事を辞め、家族と相談し、イギリスのRCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)で学び始める。少し遅れて、家族も合流した。

自分がわかっていないものを学び直し、アーティストが使う言語を使えるようになりたかった。


「行ってよかった。アート言語を確実に学んだし、変わったと思う。」
   
在学中、2018年4月より日本での活動を始める。

 


ビジネスとアート

構造を考えるのが好きなので、ビジネス自体は好きだという。

アーティストでありながら、予算や採算なども考え、どこまでできるか、どうしたらできるのかを現実的に考える。


「まず自分が表現したいことが先にある」

表現したいことがあり、それを為すために、必要なことを掬(すく)い上げていく。

 


自分の表現したい理想像は、もちろん強く持ちながら、現実性、実行性を伴う制作。

立石氏自身が、アーティストという枠を既に超えている。

   

相反するものをテーマに

仮想と現実、自然と人工など二項対立に挙げられるような概念の境界の融和をテーマに人工知能、立体音響、身体表現を用いたインスタレーションを展開するのが立石氏の作品の特徴である。

RCAの時代から既にこのテーマは立石氏の軸となっていた。

 

▲"Re: Kiss - 001"、4千万のインスタグラム投稿を用いたAI生成イメージのインクジェットプリントにパーマネントインク、2021 引用: Instagram

 

上の "Re: Kiss" という作品を見ていると、イメージが明確に現れている部分は、そのテーマに対する人々の認識が共通している部分であり、逆に無数の画像の層によってぼやけて淡くなる部分は、認識の差異として読み取ることができる。

立石氏はこうした工程を通して、他者との距離を測り直す方法を模索している。

 

「人工知能に何かを描かせることによって、人間が見ている世界をある意味、間接的に見る。

人と人工知能の差って、どこからどこまでだっけ?
サイボーグと人間の違いってなんだっけ。


抽象レベルをどんどん上げていって、
仮想と現実の差、情報と知能の差その境界を考え、二つの間のそのどちらでもあるような、どっちでもないようなものを創り始めた。」


木を食す

「木の一本、一本が見えていない」


「木を見て森を見ず」という言葉があるが、多くの人は、目の前にある木さえも、自分も含めて本当には見えていないのかもしれない。

森といった時に、言葉の上の森っぽいものを想像するだけで、どんな森かも想像しない。
木を描いてと言われても、木っぽいものを描くだけで、実際には、あり得ないものを描いてしまう。

 



林業問題や環境問題を社会が捉え直し、関係を良くしようというのであれば、

「まず目の前にある木の一本一本をしっかりと見えてくるようになった方がいいのでは」

一人一人が目の前の木が何の木かということをわかるようになったら、環境問題に対する意識も変わるかも。変わったらいいなと思っている。

それをやるにはどうしたらいいかと考えた時に、アートだけでは難しい。
立石氏は、軽井沢の離山を舞台に立ち上げた「TŌGE(トウゲ)」において、「木(食)人フォレストソーダ」、「木(食)人フォレストシロップ」(2023年春リニューアル予定)を開発・販売している。

 

▲木食ブランド「木(食)人」。引用: Instagram


 
「木のドリンク。

目の前にある森を飲むことで自分の中に取り入れる。
自分の中にある森を外に出してあげる。
 
自分と森が同一化する。
自分のことであれば、他人事ではないので、リアルに考える。

目の前にある木がまるで自分のように見えてきたら完璧です。」

 



今後の展望

「私がどこかに行くというよりは、

みなさんに見にきてもらえるような作品を創り続けたい」

 



作品を創る時は、ミクロな感覚だと感じてから創る。
まず感じて、ちゃんと暮らしてみる。


一瞬一瞬を生きてみて、

フルで全部を感じて聞いて、食べて、読んで、「面白いな」「綺麗だな」「気持ち悪いな」という感情がスパークする瞬間をいっぱい集めて。また考えて。

ひとつ仮説が生まれたら、それをどうやったら作品に具体化できるか、また考える。
 
『そしてとても大事にしているのは、自分の見ている世界観。作品では、一つのことしか言わない。あのホワイトキューブ作品も「森に持ってきた。」以上。そんな作品が例えば200作れた時に、自分の言いたいことが景色となって、周りの人にも見える。』


月の上の美術館

「生きている間に、月の上に美術館を作りたい」

 
月の上に巨大な窓ガラスがあって、巨大な窓ガラスの中に地球がぽつんと見えている空間を作りたい。せめて設計して、仕様書を書いて死にたいと思っている。

なぜ月なのかと聞くと、「世界平和」という意外な回答が返ってきた。


「地球のどこにいても見えるから月がいい。地球のどこにいても見える作品なんて世の中にはないから。」

 



宗教も、育った環境も全く違う多様な社会で育った立石氏にとって、日本の中学に転校した当時、教室にいるのは9割日本人。当たり前のように韓国人の同級生の見た目や言語を馬鹿にする姿に激しい違和感を感じていた。

「韓国人の友達1人でも居るの?って。なぜ中傷するのか本当に意味が分からなくて。僕ができることってなんだろうって17歳ながら悶々と考えていた。」

僕ができることって、何だろう。
そこから、言語を超えて表現し、伝えられる「アート」にたどり着いた。

僕はビジネスで世界平和はできないから。
やはりアートで。


立石氏と話していると、「子供心」を思い出される。

精神年齢が低いこととは違う子供っぽさだ。

自分の気持ちに素直に、先入観を持たず、今を大切に生きる。そんな立石氏に、現在を忙しなく生きていると忘れがちな、人生において重要なことを思い出させられたように感じた。

 

 

TAKANOMEを開栓する。

しっとりと甘く重厚な麹の香りが顔面に飛び込んでくる。印象的。口に放り込まれると、しなやかに甘さと辛さが分離し、口腔に広がり、血脈を通じて身体を広げる。

あの冬の冷たい空気のようにキリッと、あの春に芽吹く命のようにあたたかく甘い。まるで雪解けのような、そんな酒。

 

立石 従寛|TATEISI Jukan

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木を食べるPJ

 

 

 

TAKANOME

F1のレーシングカーを作るとき、コストを考えながら車を作ったりはしない。とにかく速さのみを求めてその時代の最高の車を作る。TAKANOME(鷹ノ目)の開発もいわばレーシングカーを作るかのようにとにかく「うまさ」のみを追求するとの信念のもと、幾度にも及ぶ試行錯誤の上で完成した、極上の日本酒。


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TAKANOME MAGAZINE

「常識に囚われず、革新を起こし続ける一流を訪れ、その哲学に触れる」というコンセプトのもと、独自取材を行うTAKANOME MAGAZINE。

TAKANOMEの哲学である『常識に囚われない「うまさ」のみの追求』という視点で一流の哲学を発信し、読む人たちの人生を豊かにすることを目指します。

 

Text: Hazuna Kaga
Photo: Shinji Abe
Structure: Sachika Nagakane

 

 

 

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